歴史的な大移籍  欧州新時代の幕開け

2010年8月28日〜29日◎ポーランド

2010年夏、ポーランドで歴史的な出来事がおきた。
極真他派から約3000人が新極真会に移籍したのだ。
日本からは緑代表をはじめとする視察団がポーランドを訪問。
欧州の各支部長とともに、400人を超える合同稽古で新たな仲間を歓迎した。

写真・文/WKO事務局長・小井泰三、ポーランド事務局

歴史的猛暑が続いた8月28日〜29日の二日間、ポーランドのワルシャワで緑代表の空手セミナーが開催され、欧州11力国から約400名が参加した。このセミナーには日本から緑代表をはじめ、三好副代表や藤原師範、そして塚本選手などの大型視察団が出席。セミナーを通じて親交を深めた。
 ジャセク・バラノウスキー支部長を中心にして活動がされてきたポーランド支部だが、この春に極真他派から大型移籍を迎え入れることで、一気に欧州屈指のマンモス支部に成長した。移籍といっても、大山総裁が生前の頃は一つ屋根の下であったことを考えれば「昔の仲間と久しぶりに出会えてうれしい」(ボクダン支部長)。ただし、WKOヨーロッパにとっても大きな転機であることは、欧州会長のクン・シャレンベルグ師範、ロマス・ヴィトカウスカス副会長をはじめ、多くの欧州地区支部長が訪問していることでも明らかだ。
 近年、民主合議を柱とするWKOは、多くの新規加入を受け入れている。それが国レベルの場合、加入する側と既存の支部長の間で互いの要求が交錯し、妥協にたどりつくまでに時間を要するのだが、今回はスピード解決。大局観に立ったジャセク支部長の冷静な判断によって、歴史の扉が開いた。これは同時に、日本と欧州の連携のよさを裏付けることになった。とくに欧州側で調整をはかったクン師範の尽力も不可欠な要素である。



合同種古は1泊2日。400名を超える大規模なものとなった

セミナーでは緑代表もテクニックを伝授した
 
塚本徳臣とクリストフ・ハブラシカも組手を行った。第10回世界大会でもこの顔合わせが実現するかもしれない

セミナーにはリトアニアからドナタス・イムブラスも参加。組手で汗を流していた
 
ワールドカップ女子重量級王者、マルガリータ・キウプリートも参加していた

セミナー冒頭では緑代表から歓迎の言葉が送られた。「新たな歴史の扉が開いた。みなさん、ようこそWKOへ」。欧州史上、最大規模のセミナーの幕が切って落とされた。全員で早朝ランニング。「新極真、ファイト」「ファイト」。日本ではお馴染みの掛け声が、日本とは違い少し肌寒いワルシャワの朝を切り裂くように響いた。
 セミナーは1泊2日。稽古は4回に分けて行なわれた。緑代表の号令で始まった基本稽古も400名の気合いが交錯し、次第にギアも上がる。基本稽古が終わり、帯別にグループ分けされた稽古では、各師範方が指導に当たった。
 二日目の稽古では昇段の組手審査(一次審査は視察団到着の前日に終了)が行なわれた。受審者の数十名を中心に、一斉に組手。ここでは、従前の審査方式にならって、10人組手ならぬ、段位に応じてラウンド制の30分〜1時間連続の組手が延々繰り広げられた。
 中でも熱い視線が注がれたのが、クリストフ・ハブラシカ選手。すでに他派の国際大会での上位入賞が常連だったハブラシカ選手は、来年の第10回世界大会を見据え、積極的に塚本選手やドナタス選手と手合わせをしていた。堅実な組手が身上で、突きから重い下段をインアウトに打ち分ける。大山総裁の逝去後、組織再編のなかでWKOの選手と闘う機会を持たなかったハブラシカ選手だが、絶好のチャンスに恵まれた。「塚本選手もドナタス選手も組手スタイルの違いはあれど、すばらしい選手。新しい仲間たちと闘えることは光栄であると思う。緑代表もフレンドリーでオープンな方で感激しました」(ハブラシカ選手)



新極真会に新たに加わったポーランドの支部長たち


親睦会では緑代表が歓迎のあいさつ
 
オーストリアの支部長、マレック・クベックもセミナーに参加

ポーランド支部から緑代表に刀がプレゼントされた
 
滞在中にはポーランドオリンピック委員会のアダム・クルゼシンスキー事務局長を訪問

スポーツ大臣のトマス・トルグラブスキー氏とも親交をはかった

セミナー期間は、参加者とWKO役員方との親睦会や王宮広場での公開稽古などが行なわれた。短い滞在期間であったが、欧州新時代の歴史的瞬間を共有できたことを誇りに感じることができた。
 最後に、この移籍案件は昨夏から新メンバー側より相談を受けており、今春の大山総裁の命日に都内で催された緑代表とメンバーの会談で決定された。彼らが送ったSOSを、緑代表と小林副代表が受け止めたのだ。
 本件でポーランド側と日本の橋渡し役を務めたのが、宮崎晃夫弐段だ。宮崎弐段は小林副代表門下で空手をはじめ、今から14年前の96年から約2年間、JICA(国際協力機構)の青年海外協力隊でポーランドに派遣。空手の指導をしていたのだ。当時、築かれた信頼関係は、今回の移籍案件においてひじょうに大きなものだった。
 今回の遠征で、緑代表は宮崎弐段の尽力なくして結実には至らなかったとの判断から、同行を依頼。昇段審査では当時の青帯生徒が黒帯に挑戦したり、また教え子同士で結婚し、宮崎弐段にその報告をする者もいた。月日の経つのは早いもの。宮崎弐段も感無量の様子だった。この遠征の帰国日は8月31日、小中学校の夏休み最後の日。宮崎弐段にとっても忘れられない夏の目になったに違いない。
 新生ポーランド、新時代の旗手となる10名の支部長のこれからに期待が高まる。


欧州の新たな時代がここからスタートする

王宮広場での公開稽古は、多くの見物人が集まる中で行なわれた

今回の移籍案件の立役者である宮崎弐段も同行。現在は栃木県内の中学校で教鞭を振るっている
 
公開稽古で藤原師範は急きょ型の演武を務めた

王宮広場を全力疾走!

新たな仲間を加え、新極真会はさらに大きく発展していく