第1回全中国大会で世界大会中国代表2名が決定!!奥村啓治責任者の情熱が、海を渡って中国へ伝承された

第1回全中国大会 2011年3月27日 中国・上海市

空手LIFE 2011年6月号掲載



緑代表、三好副代表、藤原師範、奥村監督、山田、奥村責任者が、入賞者と記念撮影。大会は大成功となった。

兵庫奥村道場の奥村啓治責任者が、新極真会を世界で広めるための使命を受け、中国へ渡ったのは8年前。蒔いた種は、しっかりと芽吹き、満開の花を咲かせた。

奥村責任者の悲願でもあった『第1回全中国空手道選手権大会』が、3月27日、中国・上海市で開催され、緑健児代表をはじめ、三好一男副代表、藤原康晴師範、奥村幸一日本代表監督、第40回全日本王者の山田一仁といった豪華な面々が顔を揃えた。

世界大会へ向けた中国代表選抜戦とはいえ、ここまで注目を集めたのは、奥村責任者の人望と熱意があったからだろう。

なにしろ奥村責任者は、単身で中国に乗り込み、新極真会の看板を背負い、文字通りにゼロから出発した。中国語は話せない。知り合いもいない。まさに裸一貫で、中国に渡り、新極真会を広めるために孤軍奮闘をしてきたのだ。

やがて奥村責任者の情熱は国境を越えて中国人に伝わり、助けてくれる恩人が次々と現われる。安アパートを探し、ようやく中国で生活ができるようになり、道場を開設すると、一人・二人と道場生が増えていった。



奥村責任者の中国での功績を称える緑代表。ここまでの道のりは、簡単ではなかったことだろう。
 
大会前に、奥村責任者と西口賢治先生が、書画で競演をはたした。


立派な書画を完成させた奥村責任者。その腕前は見事の一言に尽きる。

日中の生徒たちが日本の復興を祈り.応援メッセージを書き込んだ。
 
上海の会場には、世界平和を願う言葉が掲げられていた。

東日本大震災で被害に遭われた方たちに対して、黙祷が捧げられた。

ところが、中国で新極真会を広める地固めができつつあった2年後の2006年。緑代表と奥村監督は、奥村責任者に日本と中国の懸け橋を任せるために、一時帰国という辛い知らせを伝えることとなる。中国道場はそのまま継続し、奥村兵庫道場を開設。日中の道場を兼任する重要な役割が与えられることになった。

緑代表のコメントにもあるように、中国の生徒が泣き、辛い別れとなる中、奥村責任者は「中国と兵庫を往復して君たちを育てる」と豪語した。その約束を守り、3ヵ月に一度、中国へ渡ってば2週間の滞在で各道場を走り回った。

現在は、上海、北京、河南省、四川省、中国だけでも200名以上の道場生を数える。中国大会が開催されるようになった背景には、奥村責任者の血のにじむ努力があったからこそであろう。

大会開催にあたり、中国関係者が懸念していたのは、3月11日に発生した東日本大震災の影響。甚大な被害を受けた被災者への思いはもちろんのこと、緑代表らが会場へ来られないのではないかと心配されていた。

幸いにも、飛行機のトラブルもなく、緑代表たちは無事に中国へ到着。上海の会場に顔を出すと、万雷の拍手で出迎えられた。



緑代表を前に、選手宣誓も行なわれた。選手宣誓を務めたのは、優勝して中国代表となったスン・インジエだ。
 
男子決勝は、スン・インジエとチャン・チェンキャンの対決。主審は、三好一男副代表が務めた。

パワーのあるチャンに対して、技巧派のスン。手に汗握る接戦となった。
 
準優勝に輝いたチャンは、巨体を生かした戦法で勝ち上がっていく。

スンは、日本のスタイルと似ていて間合いが近いのが特徴。下段カカト蹴りや、胴廻し回転蹴りも放っていった。
 
女子の試合も行なわれ、クン・ウェンがシャン・イニアンを下した。

『中日友好の懸け橋』をテーマに掲げた奥村責任者は、西口賢治先生との書画の競演や特別演武をこなし、兵庫や福岡から参加した日本人も加わっての中日少年部の演武を用意。さらには中国側から緑代表への記念品の贈呈、中国組織の来賓・役員・功労者などへ感謝状が手渡され、とても温かみのあるセレモニーが行なわれた。

さらに全中国大会では、自熱の攻防が続出。男子決勝は、かつてウエイト制にも参戦経験のあるテクニシャンのスン・インジェと、チャン・チェンキャンが対戦した。30歳のスンは、下段カカト蹴りや胴廻し回転蹴りなど、多彩な足技を器用に使いわけるスタイルで、23歳のチャンは恵まれた肉体とパワーを武器にガンガン突きで攻めるタイプだ。

張の突きを受け流し、細かい蹴りでポイントを重ねたスンが、優勢勝ちを収めて優勝。決勝戦で闘った二人が中国代衣となり、10月の世界大会への出場を決めた。

レベルとしては、日本やヨーロッパなどの列強国と比べるとあと少しの印象はあるが、急速に発展している中国の勢いは侮れないものがある。武術のルーツとも言われる中国から、いつか世界チャンピオンが生まれても不思議ではない。

カンフーや少林寺の影響で、飛んだり跳ねたりする傾向がまだ残っているようだが、肉体の強さを誇る中国の底上げがあれば脅威だ。


押忍の声が響き渡ると、すでに国境は消えていた


奥村責任者は、演武で渾身のバット折りを披露。兄の奥村幸一監督、山田一仁らも協力して盛り上げた。
 
緑代表から優勝カップを授与されるスン・インジエ。感無量といった表情だ。世界大会では、どこまで勝ち上がるのだろうか。

中国の子供たちに大人気の緑代表。憧れの存在の来訪に、みんなの目が輝いていた。
 
中国の子供との記念撮影に応じる緑代表。

緑代表らは、在上海日本国総領事館を表敬訪問した。

緑代表は、在上海日本国総領事の泉裕奉・総領事に挨拶した。
 
上海市普陀区体育局も訪れ、日中の絆を深めた。

大会の翌日は、緑代表らがセミナーを開催。山田が先頭に立ち、フェイントからの下突きなど、実戦で使えるテクニックを伝授した。

こうした交流が続いていけば、日中の懸け橋にもなるし、互いにレベルが上がっていく可能性も十分にある。とても実のあるセミナーだったと言えよう。

全中国大会を成功に導いた奥村責任者は、「これまで中日の懸け橋になりたいという思いでやってきましたが、もう一つの願いは、子供たちに夢を持ってもらうことです。裸一貫で中国へ渡り、私なんかでもこうしてできたわけですから、みなんさんにも夢を持ってほしいです」と、最後に力強く語った。



大会翌日は、中国支部本部道場で日中合同稽古が行なわれた。山田は、技術セミナーを行ない、熱心に指導した。


緑代表の号令のもと。中国の選手たちも礼儀正しく続けた。みんなが押忍で応え、空手に国境がないことを感じさせた。

中国の選手たちは、この日が最高の思い出になったことだろう。