鏡開き稽古に、日本代表を含めた130名が集結!2011年世界大会イヤーの幕が上がった!!
カラテ・ライフ2012年9-10月号 Text & Photos/林田哲臣

『空手バカ一代』の作画などで知られる漫画家の影丸穣也先生が、
4月5日、膵臓がんのため他界された(享年72歳)。
空手家への貢献度は高く、新極真会からは緑代表、三好副代表が偲ぶ会に参加。
多田拓郎先生とともに故人との別れを惜しんだ。



生前の作品が並べられた。影丸版・『空手バカ一代』の第1話が載った『週刊少年マガジン』などの貴重なものもあった。

武道界からも縁の深い師範方が招待された。左から角田信朗師範、緑健児代表、山崎照朝師範、佐藤勝昭師範、三好一男副代表、黄秀一師範。

この偲ぶ会を実現させ、司会も行なった多田拓郎先生。『緑健児物語』の作者でもある。
 
昨年の震災後にチャリティ用に描かれたイラスト(コピー)も飾られ、晩年も精力的に仕事を行なっていたことを伺わせた。


『空手バカ一代』の中盤以降の作画家を努め、極真カラテとも非常に縁の深い故・影丸穣也先生を偲ぶ会が、7月1日、後楽園飯店で行なわれ。影丸先生は4月5日に病気のためお亡くなりになっていたが、本人の意志により、生前に縁のあった少人数での偲ぶ会が開かれた影丸先生のご家族や親戚の他、漫画界、出版界、ファンクラブ、武道界から縁の深い方が参加した。

新極真会からは緑代表と三好副代表が参加。昨年、出版されたマンガ『緑健児物語』は、当初、影丸先生の作画が予定されいたが、病状が悪化したため先生の指名で多田拓郎先生にバトンタッチされて完成した。影丸先生のご尽力なくして実現はしなかった作品である。

その『緑健児物語』を作画した多田先生が、この会を取り仕切り司会を行なった。

会場には『空手バカ一代』が掲載された『少年マガジン』をはじめ、影丸先生の作品やイラストが並べられ、漫画関係者から影丸先生が現代に続く漫画界への影響など生前の偉業をたたえた。影丸先生のご冥福をお祈りいたします。